
弘中綾香、テレビでの姿は「私であって私でない」アナウンサーとしての葛藤と“他人任せ”な人生論
弘中綾香、テレビでの姿は「私であって私でない」アナウンサーとしての葛藤と“他人任せ”な人生論
9/21(水) 8:40 WEBザテレビジョン
文=こじへい
https://news.yahoo.co.jp/articles/b8b9adf8fc03306cbfd3307ce1ed3da97c806eb4
弘中綾香
「激レアさんを連れてきた。」「あざとくて何が悪いの?」「ノブナカなんなん?」など数々の人気番組に出演するテレビ朝日の弘中綾香アナウンサー。彼女がこのほど、自身初のエッセイ集「アンクールな人生」を発売した。著書では「カテゴライズされる窮屈さや、謂れのない憶測も心から嫌だった」との葛藤もつづっており、「“テレビの中の私”は私であって私でない」という感覚があることを明かす。その一方で執筆することについては「私が1語1句全部書いたもの。文章を書いて発信できる仕事をさせていただけたことは、本当に大きかった」とし、「執筆の仕事がなかったら、アナウンサーを続けているかわからなかった」とも語った。
■早くから“競争社会”を意識していた…中学受験は「成功体験として衝撃的だった」
(※中略)
■女子高生に“勉強してください”と伝えた真意「目標が定まっていない子は…」
(※中略)
■加地倫三プロデューサーから絶賛も「正直、後付けだと思う(笑)」
(※中略)
■“高い声”がコンプレックスも「一つの個性」…女子アナへのカテゴライズに葛藤も
――話は変わりますが、本の中では「生まれ持ったこの高い声がコンプレックスでしょうがない」とも書かれています。コンプレックスに感じている理由を聞かせていただけますか。
声については、テレビ朝日に入社する時点から、一般的にも、アナウンサーとしても「高過ぎる」と指摘されていました。高い声はキンキンして聞きづらく、お伝えする時の説得力にも欠けてしまうから「アナウンサーに向いてない」と言われていたんです。だから、声を低くしようともしたのですが、生まれ持っての声質ですし、なかなか変えられないですしね。それに私の家族って全員、声が高いんですよ。そんなわけで「無理だな」と諦めました。
――なるほど。
声も一つの個性ですしね。何より、テレビ朝日はアナウンサーがたくさんいる大きな会社ですから、私が説得力のある声でニュースを伝えなくても、他に適任者がいるわけで。「お前が言うな」とお叱りを受けてしまうかもしれませんが、先輩も後輩もみんな良い声をしていますし、そこはもう「お任せします」と。私は声が低くなくてもできるお仕事で頑張ります。
――もう一つ、「カテゴライズされる窮屈さや、謂れのない憶測も心から嫌だった」と書かれていたことも印象的でした。
「女子アナなのに」と言われることがすごく多くて。なんか、「うん…何?」という感じです(笑)。テレビ番組での私たちは“素材”であって、それを切り取ったり、編集したりして世の中に出すわけですよね。テレビの中の私は、キャラクターがのっている部分もあるし、切り取られ方次第で見え方も変わってくるし。「私であって私でない」という感覚があるんです。でもその私の姿を、世間の人は本質だと捉えてしまったり、ちょっと違った見方をされたりしたこともあって辛かったですね。
■執筆の仕事がなかったら…「私、アナウンサーを続けているかわからないです」
(※中略)
■弘中綾香、人生は“他人任せ”「アイデアマンではない」
――弘中さんは今後、局のアナウンサーとしてどんなことに挑戦していきたいですか。
何ができるんですかね…。私って、アイデアマンではないんですよ。会社にアイデアマンはたくさんいて、「弘中にこういうことをやらせたら面白いと思う」という企画に乗っているだけというか。自分から「これがやりたい」というのはなく、「アイデア待ち」なんです(笑)。たとえば「激レアさんを連れてきた。」にしても、もちろん私から「自分はホワイトボード書くのが上手いと思います」と言ったわけではないですから(笑)。
――与えられたポジションをしっかりとこなす、と。
よく言えばそうですけど、本当にそんなに大層な人間じゃないんです。もうちょっと「0→1」ができればいいんですけどね(笑)。0から生み出す才能はないですし、きっと、人から与えられたほうがいいんだと思います。振り返ってみると、アナウンサー試験を受けたのも、周りから「受かるとカッコイイよ」と言われたからですし、そういう人生なんです (笑)。結局私の人生は、“他人任せ”なのかも知れません。
(※以下略、全文は引用元サイトをご覧ください。)
お客様相手に素なんか見せる必要ない
コメント
んな当たり前の事を言われましても。